~のさり~
のさり(方言)
熊本県天草では、授かる、頂く、得をする、天の恵み、特別な・・・
という意味で、のさる、のさり者等の使い方をします。
Profile
天草市にて妊活をサポートするべく 〜 のさり〜 妊活カウンセラーとして活動中。
極度の生理不順で、多能抱卵症候群も患っていた私が何年にも渡り不妊治療をした結果、どのようにして 3人もの子宝に恵まれたのか。数々の奇跡、授かりもの「のさり」の生命の神秘を実感し、得た知識や経験をもとにカウンセリング、アドバイスを行っています。
【ぽかぽかの家】 オーナー
セラピストや美容師、エステティシャンや音楽家など天草で活躍する女性たちが共同で運営し、貸しスペースでの施術や定期的な イベントなど、個々の活動だけでなく連携してさまざまな角度からお客様をサポートできる体制を整えている。実家に帰ってきたかのようにゆったりとくつろぎ、癒され、そして自分の好きなこと、やりたいことを実現させるための拠点と なるようなサポートを行っている。
天草の海で拾い集めたガラスや流木などで雑貨を手作りすることやDIYが趣味。
TCカラーセラピー、レイキヒーリング、クイックリンパケアで心と身体、両方からアプローチを行い、妊娠や性、命の尊さについて大きな愛をもって笑顔で体験談を語る姿は 、「天草の母」と呼ばれて、とっても有り難いと思っています
小学4年生のころ、成長が早く身体が大きかった私は、他の同級生よりも早く、特別に性教育を受けました。
ところが生理が来ない・・・。まわりの身体の小さな友達にどんどん先を越されていきます。そして中学2年で やっと来ました。遅いな、おかしいなと思いながら、しかも生理不順で半年以上来ないこともありました。
高校に入り、産婦人科へ受診したときは、「高校生なのに・・・」と変な目で見られることもありました。
そして「このままでは妊娠は難しい」という先生の言葉。
うそであってほしいと願いながら、ホルモン剤などの薬を飲み治療をしていましたが、成人したころには病院で先生に「生理が上がる前のような状態」と言われ、とってもショックを受けました。
27歳になり、子供ができにくい身体であることを旦那様には、伝えたうえで、結婚。
そこからすぐに不妊治療をスタート。そこで出会った 先生には、治療をしながら、たくさんの知識を分かりやすく教えてもらい、 勉強させていただきました。
でも、30代という年齢への焦りもあり、早く子供が欲しい一心で病院をいくつも渡り歩きました。
タイミング法や顕微授精まで諦めずに治療をしながら、多能抱卵性症候群の治療で服用していた薬の副作用で、入退院を5回ほど繰り返したり、不妊治療を否定されることもあったし、入院のたびに 絶対安静など大変なこともたくさんあったけど、私にとっては治療している方が気が楽だったのです。
北九州の病院まで通い、体外受精4回目で長男を授かることができました。
結婚をし、治療を始めてから5年目のことでした。
顕微鏡ごしに見る、夫の精子や受精卵の成長を観察するなど、治療を通していろんな経験をさせてもらうことができ、私はそれを楽しんでいました。それは信頼できる先生に出会えたおかげでもあります。
長男の妊娠、出産は、 「できない」「母になれない」と思っていた私にとっての、母としての始まり。
やっとスタートできるという喜びと、子供は私の私物ではなく、神様からの授かりものであり、「預かりもの」なんだと強く感じました。
「やっとできたから甘やかして」と周りから言われたくないという思いもあり 、預かりものだからこそ、ちゃんと自立できるように育てようという責任感を感じました。
長男誕生後、一人っ子はいやだったので、再度治療を開始。
3年後に体外受精で妊娠し、次男誕生。
長男のときに冷凍保存していた卵子でトライしましたが、ダメだったのでまた一から受精卵を作ることになりました。
精子と卵子を受精させる専門のドクターがいて、主治医が長男のときに担当してくださったドクターを指名され、次男のときにも担当してくださいました。
受精という細胞の奇跡を人の手で行うということは、本当に繊細で命の聖域に触れる行為です。だからこそ、誰でもいいわけではありません。
不妊治療だからこそ、たくさんの人が関わり、みんなの力が合わさり赤ちゃんが誕生することができました。
次男の出産では、出血が止まらず、全体の3分の2の量の血液が出血してしまい、輸血が必要な危険な状態にまでなりました。 信頼していたベテラン先生が急きょ手術に入り、処置をうけ、結局輸血はせずにすんだのは、先生曰く「橋口さんだから大丈夫だった」と言われ、研修に来ていた新人の先生がのちに、「伝説の母」として語り継がれるほど大変な状況でしたが、自分自身は不思議と大変ではなく、体力を戻すためにとにかく、 たくさん食べました(笑)
次男出産後、家族計画はそこで終わるはずでした。
3年後、40歳でまさかの自然妊娠。
生理も年に一度。医学的にはあり得ないと言っていいほど、奇跡の妊娠でした。
三男を授かった意味、私たちのところへ来てくれた意味を考えました。
そしてこの奇跡の自然妊娠を伝えていくことが、「妊活カウンセラー」の活動をするきっかけとなりました。
子育てやマタニティケアなど、妊娠出産後のママのケアは、増えていますが、その前の段階である、不妊治療 や妊活中の女性たちをケアする場は とても少ないのが現状です。
たとえ友だち同士でも妊活していることが言えなかったり、妊娠前のこころのケアを求めている女性や将来お母さんになりたいけどさまざまな不安を抱えている女性 、あちこちの病院へ治療に行ったり、色々試して、お守りも買って神頼みまでしても妊娠できないなど、、、行き場をなくした人たちの駆け込み寺になりたい。
そんな思いで、〜のさり〜を始めました。
私は、医師でも看護師でも、助産師でもなく、特別な資格も持っていない、 普通の母です。
でも、たくさんの経験を経て、知識を吸収し、 生命の神秘や命の尊さを実感してきました。
小さな細胞がやがて赤ちゃんとして誕生するまでのスタートである、「 受精」は人の手でできても、その後誕生できるまで育てることは、子宮でしかできない。生命の神秘的な過程が女性の子宮のなかで行われるのです。
そんな奇跡の可能性をもった自分の身体、そして自分自身ことを大事にしてほしい。愛してほしい。
命を粗末にしてほしくない。
自分自身を大切にすることやお母さんのマインドは妊娠に大きな影響を与え、心と体のバランスがとても大切です。
赤ちゃんの事で相談にきた方もいざ話をしてみると、 本当の問題は別だったということもよくあります。
「赤ちゃんができない」ことにとらわれて、自分自身を愛する、自己愛を忘れてしまっている女性がとても多いのです。
「自己愛」は赤ちゃんにとって居心地の良い子宮を作ることにつながり、それはお母さん自身にしかできないことなのです。
自己愛に気付いて、それぞれが自立したうえで、みんなで支え合い、助け合い、お互い持ちつ持たれつの対等な関係を、親子間や子ども同士、ぽかぽかの家にかかわる仲間たちの間でも常に大事にしています。
自立した関係を大切にしているからこそ、私のもとへ相談にきたとしても、その方にとって別のところが良ければ、そちらをご紹介する こともあります。私を頼りに来てくれた方をなんとかして助けたいし、頼ってきてくれてありがとうの気持ちでお返ししたいという気持ちがあるからこそ、 冷静に判断するべきこともあるのです。
子どもでも大人でも、みんなで助け合い育っていくことが私は好きです。
ぽかぽかの家は、お客様も含め、そこに関わるみんながそれぞれの好きなこと、やりたいことに向おうとするとき、身近にいて、「いってらしゃい」と背中を押すような場所でありたい。そのための手助けや土台作りのお手伝いが私のやりたいこと の一つです。
「お母さんになれない」と思っていた私が、40歳で奇跡的な自然妊娠し、いまでは3児の母です。
「できない」 が「できる」に 変わったことで、「可能性」というものを身をもって体験しました。
だから、私と同じように妊娠したい女性、自分の仕事を頑張っていきたい女性を応援していきたい。
「命ってすごいんだよ」と伝えていきたい。自分の命がどんなにすごいか気づいて、そして大切にしてほしい。
天草の海のように、大きな心で受け入れるような、本当の意味での「天草の母」になるために、私は日々の生活を大切にし、神様からの預かりものである子供たちを育て、頑張っている女性たちが活躍できるよう、 支え続けます。